BOYS BE すこやか

アレルギー、発達障害、けいれん重積など、険しい年子育児の記録

アナフィラキシーショックとその後の経過について

発症からその後の経過

昨日、3月22日(水)にようやく落ち着いた腸管アレルギー症状。

発症から落ち着くまでの経緯を、ざっとまとめておく。

 

発症

karma.hatenablog.jp

治らない下痢

救急にかかった時にいただいた整腸剤(ラックビー)を飲んでいても、抗ヒスタミン薬を飲んでいても、水下痢が一向に治らない。

一日に十回以上の水下痢で、毎回必ずオムツから漏れてズボンが汚れ、フローリングや畳を汚す。それが、なんと5日間続いた

3月20日(月)にタイミングが良いのか悪いのか次男が水疱瘡ワクチンの副反応で高熱が出たため救急外来にかかったので、ついでに長男も診てもらった。重症だと、そんなにすぐ治ることはないようだ。整腸剤を3倍に増やしてもらった。

すると、翌日はまだ軟便だったものの、3月22日(水)には正常な便が出てくれたのである。すごいぞ整腸剤。

後から酷くなった充血

救急に行った当日や翌日は充血しているとはいえそこまで酷くなかったのだが、3日後あたりから黒目の内側、目頭の方が真っ赤になっていた。文字通り、本当に真っ赤だった。

私も花粉症の時は目頭のあたりが痒くなるのだが、まさにそのあたりにアレルギー反応が出ているように見えた。

小児科クリニックが信用できなくなった

救急で行った病院で経過を記した手紙を書いてもらったので、翌日、早速血液検査をしてもらった小児科クリニックへ赴いた。すると先生は「血液検査の結果的にこんな重い症状が出るとは思えないから胃腸炎だと思うけどね〜」と言い、「半年後にまた経口免疫療法をチャレンジしてみましょう」と言った。

一応、保育園のアレルギー指示票には除去食として書いてもらったが、アナフィラキシーは無しと書かれてしまった

救急でかかった病院は川崎病のかかりつけの大きい病院なのだが、診療科目が違うと初診の場合は紹介状が必要となるらしい。そのため、今日、このブログ記事を書いた後に小児科へ行って紹介状を書いてもらえるよう頼む予定だ。

ノイローゼになった

あまりの便処理の多さに、さすがに私もノイローゼになった。毎回風呂場へ連れて行きズボンも履くものがなくなり、フローリングまで掃除だ。寝ている間も催すため、単純に労働量が半端じゃないのである。

また、川崎病の時と同じぐらい、いや、むしろそれ以上に、常時不機嫌だった。というのも、カレーが食べたい、焼きそばが食べたい、と、食べたいものが全く食べれずにずっと消化の良い薄味のまずいおかゆや麺を食べていたからである。本当に常時、24時間、泣いて怒っていた

睡眠不足も合間って、私は限界だった。最後には布団に突っ伏して大泣きしてしまったのだ

すると、息子は私に駆け寄ってきて、そっと抱きしめてくれて、「ごめん」と言ってきた。何も悪いことなんてしていないのに、私は長男に謝罪をさせてしまったのである。

母は笑顔でいなければいけない、と強く再確認した出来事でもあった。とはいえ、まぁ、ノイローゼにもなるだろう。私、お疲れ様。